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札幌地方裁判所 昭和28年(ワ)817号 判決 1956年4月30日

原告 洲崎こう

被告 田岡早太

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金十万円及びこれに対する昭和二十三年十二月十六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一  訴外亡吉原豊吉は、訴外亡笹谷雅昭、訴外高橋勝義、同八木富保の三名を連帯債務者として、昭和二十三年七月六日に金五万円、同月十四日に金六万円を、いずれも利息月八分、弁済期を同年八月末日と定めて貸渡したが、右笹谷らは、内金三千五百五十円を弁済したのみで、残金十万六千四百五十円を返済しない。

二  右笹谷雅昭は、昭和二十三年七月六日右金五万円を借受けるとともに被告との間に、被告が当時、札幌商工局長に設定許可出願中の札商第二二試第三九〇号ゴミ島燐鉱区の試掘権をその出願が許可になることを停止条件として被告から譲り受ける旨契約し、被告に対し金十万円を交付したが、右出願が同年十二月十五日不許可になつたため、右売買は停止条件の不成就により効力を発生しなかつた。仮りに右試掘権の売買が、許可を条件としていなかつたとしても、右笹谷は右出願が間違いなく許可になるとの被告の言を信じて、それが不許可になることを全然予想もしていなかつたのであるから、その売買契約は要素の錯誤があつて無効である。いずれにしても、被告は金十万円を不当に利得し笹谷に同額の損失を及ぼした。しかも不許可の事実については被告は悪意であるから、笹谷雅昭は被告に対し既に交付した十万円を不当利得として返還請求する権利を有する。

三  しかるに、右笹谷雅昭は、昭和二十七年十月六日死亡したため、亡吉原豊吉に対する前述一の貸金債務及び、被告に対する右不当利得返還請求権は、ともに笹谷マツ、同園子、同雅信、同容子、林田麗子、依田憲子の六名が相続によつて共同承継したが、右相続人らはいずれも貧困のため、右貸金債務の弁済をしないのであるが、被告に対する不当利得返還請求権をも行使しない。

四  吉原豊吉は昭和二十七年十一月八日死亡したので、同人の子である原告を含めて妻子五名が共同相続によつて笹谷雅昭に対する前記貸金債権を承継し、さらに共同相続人五名の協議により、原告が各人の持分の譲渡を受けて単独の債権者となつた。

よつて原告は、民法第四百二十三条に基ずき、前示笹谷マツ、同園子、同雅信、同容子、林田麗子、依田憲子を代位して、同人らが被告に対して有する前記不当利得返還請求権を行使して、金十万円及びこれに対する民法所定の年五分の割合による利息の支払を求めると述べ、

被告の抗弁事実を否認した。〈立証省略〉

被告訴訟代理人らは、主文同旨の判決を求め、答弁として、請求原因事実中、一、三、四の事実は不知、二の事実中、被告が原告主張日時笹谷雅昭から金十万円を受領したこと、は認めるが、その余の事実は否認する、すなわち笹谷雅昭、被告間の売買の客体は原告の主張するように許可を条件として将来に発生する試掘権ではなくて、鉱業出願人が有する鉱業出願権である。鉱業出願人は鉱業の出願をなすことによつて、その出願内容に付き審査をうける権利を取得するとともに、その出願が鉱業権設定の要件を具備するときは不日鉱業権を設定され得る地位を有するものであり、これを鉱業出願権と称するのであるが、この鉱業出願権は将来鉱業権なる一種の物権を取得すべき財産上の権利であるから、売買等により譲渡の客体となりうることは明らかであつて、而して鉱業出願権を条件附で売買することは、従来鉱業界では行われていないし、本件も勿論この例外ではない。以上のように本件売買の客体は鉱業出願権であり、またそれは停止条件附きではないから、試掘権設定許可出願が不許可と決定しても、(昭和二十三年十二月十五日不許可となつたことは認める)被告は笹谷雅昭に不当利得として十万円を返還する義務はない、と述べ、

抗弁として、仮りに原告の主張するように本件売買が将来許可があることを停止条件とする試掘権の売買であつたとしても、笹谷雅昭は昭和二十三年十二月頃、被告に対し、本件の金十万円の返還は請求しないということを合意しており、従つていずれにしても原告の本訴請求は失当である、と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が昭和二十三年七月六日訴外亡笹谷雅昭から金十万円の交付をうけたことは当事者間に争いがない。

原告は、右十万円は笹谷が将来発生すべき試掘権を停止条件附で被告から買受けた代金の内金として交付したものであると主張し、被告はこれを争うので、判断する。証人八木富保(第一回)、高橋勝義の各証言によつて成立の認められる甲第一号証の一、二、成立に争いのない甲第二号証、第六号証の一乃至三に証人八木富保(第一、二回)、高橋勝義、庄司仁左衛門の各証言及び被告本人尋問の結果を綜合すれば、昭和二十三年中、右笹谷雅昭、八木富保、高橋勝義の三名は共同して他から資金を借受けて被告から、被告が鉱業出願人として札幌商工局長に試掘権設定許可出願中の札商二二試第三九〇号北見国枝幸郡歌登村大字音標村字ゴミ島燐鉱区の鉱業出願人たる地位を譲受けて試掘権設定許可をまち燐鉱石採掘の共同事業をする計画を樹て、三名連帯して訴外亡吉原豊吉から金十一万円を借受け、また笹谷が被告との交渉に当り昭和二十三年七月六日被告と笹谷との間で右鉱業出願人たる地位の譲渡契約が成立し、笹谷はその代金三十万円の内金として金十万円を被告に交付し、出願人の名義の変更については、笹谷において代金残額の支払ができないところから、被告名義を被告と笹谷の両名の共同名義に変更し笹谷を出願人代表者としておくこと、残代金の完済は出願に対する許可があつた後でよいこととした事実を認めることができ前顕各証拠中、右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右すべき証拠は存在しない。ところで右譲渡契約が原告の主張するように、札幌商工局長の試掘権設定許可を停止条件としていたかどうか。証人八木富保(第一回)、高橋勝義の各証言中、その趣旨の供述部分があり、これらの証拠によると、笹谷が被告から本件鉱業出願人たる地位の譲渡を受けるについては、共同事業企画者の一人である高橋勝義において札幌商工局長の不許可処分のあり得ることに不安を懐き被告に対してその点につき念を押していること並びに高橋勝義及び八木富保が本件譲受契約に結局同意したのは、試掘権設定許可が必ずあるものとの被告の言を信じたためであること、を認めることができるのであるけれども、これらの証言を被告本人尋問の結果に照らしてみるときは、それ以上に進んで笹谷または被告が許可を条件とすることを申出たこと、被告または笹谷がこのことを応諾したこと、すなわち契約当事者間に札幌商工局長の許可を停止条件とする旨の合意が成立したことを認めることはできないのであり、またそのような暗黙の合意の成立を推認することもできないのである。他にもこのような明示または黙示の合意を認定するに足る証拠はない。むしろ被告本人尋問の結果によれば、笹谷そのものは本件鉱区の燐鉱採掘事業を夢み本件鉱業出願人たる地位の譲受けについて慎重に条件を附して契約を締結する余裕を欠いていたことが窺われるのである。また以上の認定事実を綜合すれば、笹谷が被告との契約により取得した本件鉱業出願人たる地位は試掘権そのものとは異り試掘権を取得すべき一種の期待権に外ならず、試掘権取得を期待はし得ても商工局長の不許可処分の行われることもあり得べきことをその当然の条理とするものであり、反面、笹谷は札幌商工局長の許可を条件として試掘権が発生するまでは何らの権利をも有しない全くの無権利者であつたのではなく、それ自体一種の財産権として対価を支払われる取引の客体としての右期待権を取得していたものであると解せられる。従つて、この期待権自体が、商工局長の許可を条件として試掘権が発生するということの上に成立つているのであるからといつて、当然にこれを停止条件附試掘権ということはできないし、またこの譲渡契約が当然に条件附きで期待権を取引の客体としているものということもできない。そうであつてみれば、特に条件を附款とした合意の成立の認められない本件においては、笹谷と被告との間の譲渡契約の成否を条件に係らせることは、いずれにしても、これを認めることができないのである。

そこで進んで本件譲渡契約における要素の錯誤の有無について判断すると、条件について述べたと同じく、鉱業出願人たる地位の譲渡においては将来或いは不許可処分の行われ得べきことを当然の条理とするが故に、不許可処分絶対にないこと、許可の必ずあることを当然に契約の要素とすることは契約の本旨に反するのであり、このようなことを契約の要素とするにはその旨の特段の約定を要するものと解すべきところ、叙上認定の事実を綜合するとき、仮りに笹谷にどのような動機の錯誤があつたにしても、このような特約を認めるには十分ではない。従つてこの点についての原告の主張もこれを認めるに由ないものである。

札幌商工局長が昭和二十三年十二月十五日本件鉱業権出願に対し不許可処分をしたことは当事者間に争いがない。従つて本件鉱区の試掘権は発生しないままになり、本件契約の客体であつた鉱業出願人たる地位乃至期待権も消滅に帰したわけである。けれども契約の客体たる地位乃至権利の譲渡は鉱業出願人の名義変更によつて既にその履行を完了しており、その対価の一部たる金十万円は法律上正当な原因によつて被告に交付された利益といわねばならない。これを笹谷についてみれば、笹谷は、右不許可処分による期待権の消滅により全くの無権利状態となり金十万円に相当する損失を蒙つたものといえるけれども、もともとこのような危険の内在した契約であつたのであり、これを防止すべき特段の約旨が認められずして、既に被告の受益が法律上の正当な原因に因るものである以上、これを不当利得というを得ない。(なお、代金残額二十万円の支払義務は、前認定のとおり商工局長の許可後支払う旨の特約に従い、前記不許可処分によつて消滅に帰したものである。)

そうであつてみれば、被告の不当利得を前提とする原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、失当としてこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条を適用して、原告に負担させることにし、主文のとおり判決する。

(裁判官 立岡安正)

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